コラム





Career Column Vol.5 
「広い世界を見よう 〜クァルテットと共に」 杉田恵理さん(ヴィオラ奏者)



ドイツを拠点にして活躍するクァルテット・ベルリン・トウキョウのヴィオリスト、杉田恵理さんは、桐朋在学時代に授業や富山室内楽講座で室内楽を思う存分弾いた。ドイツに留学した直後は本当に苦労したものの、室内楽好きな彼女の活躍は、この数年のうちに欧米でも日本でも皆が知るところとなった。


もともと、室内楽ではよくヴィオラを弾いていました。大学三年のときにいろんな意味で調子が悪くなった私に、実技(ヴァイオリン)の原田幸一郎先生が「好きな事をやってみたら」と仰ったんです。それじゃあ、ということでヴィオラのソロ曲に初挑戦しました。そして小樽の今井信子先生の講習会を受けて、ヴィオラを専門にしようと決めました。

ヨーロッパでヴィオラの勉強をしようと思い、まずはジュネーブ音楽院を考えたが、あまりにお金がかかりすぎることが分かった。そして、授業料が無料のクロンベルク・アカデミーに留学するが、意外にも苦労する2年間となる。



桐朋にいた頃は室内楽をたくさん弾いていたので、本当にクァルテットが好きになっていました。でもクロンベルクはソリストを育てる学校で、すごい賞歴がある人、EMIなどメジャーレーベルからCDを出している人などばかりです。

室内楽といえば、マスタークラスをしにきたクレーメルとかバシュメットが、一緒にグループに入って演奏会で一緒に弾いてくれる、というセッティングだけでした。それはそれでいい経験だったのですが、私はグループを仲間と組んでレッスンを受けて、曲を一緒に仕上げて、というプロセスが好きだったので、「これは違うな」という思いがありました。

クロンベルクは、創設時はチェロ科のみでスタートして、ロストロポーヴィッチが教えていたところに、ヴァイオリンとヴィオラものちに入れたという学校です。全体でも10人くらいしかいませんでした。

チェロの宮田大くんも同時期に在学していたけれども、彼は既にスターになったあとで大活躍して飛び回っている一方、私はヴィオラに転向したてでレパートリーもこれから学ぶ段階で、おまけに当時のヴィオラ科は私ひとりだけでした。マネージメントをどうする、とかが話題になるようなエリート集団の中で二年過ごして、精神的に限界が来ました。

クロンベルク卒業後の夏は、ドイツでオーケストラのオーディションを、方々で受けました。焦ってトゥッティもソロヴィオラもいろいろ受けたけど、最終で全部落ちました。

そんな中、ベルリン芸大のローデ先生に音楽祭で習う機会があり、ちょうどその時に自分が必要だと感じていたことを教わることができたのです。ちゃんと理論的に積み上げて説明してくださり、音楽や技術が立体的に組み立てられていく感じが、自分に合っていました。まわりの学生も、弾ける人も、それほどでもない人もいろいろ居て、本当に楽に楽しく学べる環境でした。

そのベルリン芸大で出会ったヴァイオリニスト二人と、桐朋時代の仲間でチェリストの松本瑠衣子さんと共に、 クァルテット・ベルリン・トウキョウを始めることになる。

そもそも、武生国際音楽祭から演奏依頼があり、松本さんに声をかけたのが始まりでした。2011年の9月に一緒に弾き始めました。その翌年にミュンヘンのコンクールがあったので、受けたいねということになって8曲仕上げるため必死に練習しました。

ミュンヘンのARDコンクールでは、弦楽四重奏部門がとにかく盛り上がります。実は前にもミュンヘンのコンクールはヴィオラ部門で受けていて、そのときの弦楽四重奏部門に出ていたのが桐朋出身のウェールズ・クァルテットでした。(2008年に3位入賞)ヴィオラ部門の予選なんてガラガラなのに、弦楽四重奏部門は観客がとにかく多くて、サッカー観戦さながらの、すごい活気なんです。そんな様子を見て、いつか私も弦楽四重奏で絶対に出たいと思っていました。

課題8曲を一年で仕上げるのは本当に練習が大変で、議論が白熱して譜面台が飛んだりする場面までありました。でもコンクールでは、二度とないくらい良い経験が出来ました。第二予選のデュティユーが、(この曲、他のグループはうまく行かなかったらしいのですが)私達はどうにかうまく弾けて、そしたらおじさんたちがブラヴォーって大きく何度も叫んで、立ち上がってVサインしてくれました。

セミファイナルでは、ブラヴォーを連発する人、足をドンドンならす人までいて、一生の思い出です。セミファイナルまで進めて、ああ決勝には出られないのか、と思っていたら特別賞をいただけて嬉しかった。すごく励みになり、これまで音楽やっていてよかったなと思えました。

わずか結成一年後にミュンヘンで特別賞受賞、そしてその後もオルランド(オランダ)やグラーツ(オーストリア)ヤングコンサートアーチスト(アメリカ)といったコンクールで賞を取り続けている彼らのこれからのキャリアは、どうつながっていくのだろう?

しばらくはベルリンに住んでいたいと思います。リハーサルはほぼ毎日、朝から晩までやっている感じです。とくに本番前は休憩もとらずにやっています。クァルテットとして、ハノーファー音大の室内楽科に在籍中ですが、師事しているヴィレ先生(クス・クァルテットのヴァイオリニスト)が住んでいるのも、先生達がリハーサルしているのも実はベルリンなので、ベルリンでレッスンしてくださることもあります。ハノーファーに実際に行くのは月二回くらいで、まとめてレッスンしていただいています。長いときは5時間くらいに及びます。

この二月から、ハンブルクのクラウディア・ベーリンクという方の音楽事務所に入りました。彼女はフランクフルトの音楽祭で、「ミュンヘンでも聴いたけど、あのときと全然違うわね」と感動してくれました。その後ビデオを送って、それで決めてくださいました。すごくラッキーだったなと思います。このままだったら路頭に迷うな、オケに入るしかないのかな、とも考えていたところでした。

日本では自分達でやらないといけないのでまだ大変ですが、札幌の六花亭のふきのとうホールで、レジデンス・クァルテットになったので、定期的に演奏会をさせてもらえることになります。

ホームページの動画は、オルランド・コンクールの優勝者演奏会をアムステルダムのコンセルトヘボウでさせてもらった際に、業者に頼みました。毎回そこで撮っているよ、ということで安心だったし、格安でとってくれて助かりました。

現在、留学を考えている桐朋生は、学校や街をどうやって選んだらいいのか迷っている。語学や生活の面の心配も多いようだ。

ベルリン芸大は、実技とオーケストラ、あとはちょっとした室内楽だけ弾いていればよかったので、楽でした。松本さんはハンス・アイスラーに行っていたのですが、授業とかめちゃくちゃ大変みたいです。実技試験の日も、ハンス・アイスラーはここと決まっていたら絶対にその日を空けなくてはいけないのですが、ベルリン芸大は、三つくらいチョイスをくれました。東と西の違いも、あるかもしれません。旧東ドイツの街は、いまだにいろいろと厳しくきっちりしなくちゃ駄目みたいなところがあります。

ベルリンは大きな街でいいコンサートもいっぱいあり、刺激的です。人が多い分、ちょっと変な人もけっこういます。 いっぽう、今通っているハノーファーは小さなけど綺麗にまとまってる。こじんまりした町だからか、人もみんな上品で落ち着いています。でも大学としては、ベルリンよりハノーファーのほうが栄えていて、ITの最先端をいっています。学生証ひとつとっても、ベルリンはゼメスターチケットという電車に乗れるチケットと一緒になっている紙のカードです。それがハノーファーだと電子式カードで、機械で読み取ります。両方とも国立ですが、ベルリンはお金がないみたいですね。

住んでいて便利なのはベルリンです。私達はハノーファーに通っているので、ハノーファーのホストファミリーにいつもただで泊めていただいたり、ホームコンサートさせていただいたりと、本当にお世話になっています。

語学は、日本語で教えてもらえる時にちゃんとやっておけばよかったと思います。桐朋の授業は、今考えるとありがたかった。

クロンベルク・アカデミーは校長がイギリス人で、レッスンも英語が多い学校でした。ホストファミリーも英語でしゃべってくれたので、だんだん英語が出来るようになりました。市民大学で安く学べるドイツ語の講座も行ったけど挫折して、殆どドイツ語をしゃべれない生活が続きました。

ベルリン音大に行った時点で、1年以内にB2をとらないと学校から追い出されると先生に言われました。実際に追い出された人もいたと友人から聞いて、勉強を始めました。実は学校にもちゃんと留学生向けに、「みんなでB2をとろう」というクラスもあったのですが、当初は「まあいいや」と聞き流しているうちに、もうそれでは間に合わない状態になってしまったのです。外で通い始めたグループレッスンは進みが遅く、残り3ヶ月になってもA2さえも危うい状態でした。「このままではまずい」と週三回の個人レッスンに切り替えて、3月末にギリギリ合格。締め切りが4月1日で、一回しかチャンスがなかったから必死でした。真っ先に先生に合格の報告をしに行ったら、どんなコンクールに受かった時よりも喜んでくれました。そこにいたほかの生徒も一緒にお祝いを言ってくれました。

今の生活ですと、インタビューにちゃんと受け答えが出来ないと困ります。私たちは、日本人3人とイスラエル人1人のグループなので、普段はドイツ語、英語、時々日本語も混じる生活です。テレビ局が来て、お互いドイツ語でしゃべりながら英語が混じってしまって、インタビューした人に「使えないテイクだなあ」という感じの、ちょっと困った顔をされた事もあります。それから、日本だったら結構おおごとなんじゃないかと思いますが、ドイツだとごく普通に、ラジオ局がリハーサル風景を撮りに来て、そのあとインタビュー、といったケースもよくあります。

ヨーロッパでのホームコンサート、教会、ミュージアムなどでは、コンサートを身近に抵抗なく聴き、あとで演奏家と話すのを楽しみにしてくれているお客さんが沢山いるという。ベルリンという深い歴史のある街で暮らし、各地にその活動を広げつつある杉田さん、そしてクァルテット・ベルリン・トウキョウの今後が楽しみだ。



杉田さんから、在学生に向けてのメッセージを頂きました!

今回キャリアインタビューという形で、少しでも現在の桐朋生のお役に立てればいいなと思いお話させて頂きました。桐朋時代は、大変なこともありましたが、毎日すごく楽しく、いつも希望を持っていたと思います。

例え、うまくいかなくて落ち込むことがあっても、負けないぞと思って努力しました。 桐朋時代の自分に言いたいことがあるとするなら、それは「狭い世界に限定されずに広い世界を常に見ようとする意識を持った方がいい」、ということです。時に桐朋だけの狭い世界や価値観に囚われて、それが全てだと思ってしまうこともあると思います。でも、外に出れば、色々な刺激や交流があり、それは違うことが分かります。自分で自分の可能性を開拓して、全く別の世界が拡がることがあるのです。冒険心と希望を持ち、諦めないで、チャンスを逃さずに努力することが大事だと思います。

2015年9月1日



インタビュアー・文責 大島路子