コラム




キャリア支援センターでは、センター員やゲストによるコラムを掲載していきます。

Career Column Vol.4 
「音楽と医療 両方あってこその自分」ー 川崎麻依子さん(フルーティスト、看護師)



今回は、現在看護師として病院に勤務されている、フルーティストの川崎麻依子さんにお話しを聞きます。
桐朋の卒業生としては珍しい、音楽と医療を両立させているキャリアについてお話しを聞きました。


Q 大学を卒業してからすぐは、どうしていたのですか?



研究科に1年、二重在籍でオーケストラ・アカデミーにも二年行っていました。

このころの勉強が転機となり、違う音楽性に出会ったように感じます。ピッコロのコンクールに出て、審査員だったN響の甲斐先生に聴いて頂けたのがきっかけで、初めてオーケストラのエキストラによばれました。初めて行ったのが何とN響で、そのあと少しずつ新日本フィルなど他オーケストラにもよんで頂けるようになりました。


父の病気と、看護師への道


Q そんな、一見順調な滑り出しの中、どうして看護の道を考えたのでしょう?

実は私が中学のときから、医師だった父が、「音楽はもちろん好きなだけやっていいけど、それとは別にいつか看護師の免許とって、自分のクリニックで一緒に働いてよ」と言っていました。一人っ子だから、一緒にやってほしい、と考えたのだと思います。

とりあえず医療事務なら、資格取得すること自体はそんなに大変ではないし、週に何時間か勤務すれば、私は演奏と並行して生計を立てられるかもしれない、と思ったのです。実際にオーケストラ・アカデミー在籍中に週2日、4ヶ月ほど通って、私は医療事務の資格を取ることができました。

そんなころ、父が癌になりました。ちょうど富山の寮では、オーケストラ・アカデミー2年目の秋で、友人と寮で「将来私たちどうしよう」といった話しをよくしていたころでした。

病気が分かって治療に専念することを決めた父は、自分のクリニックを数人の代理の先生でまわしてもらうことにしました。その橋渡しを私が請け負うことになったのです。

音楽と違って医療現場は絶えず人と関わっていて、いつも人の顔が見えている職業ですよね・・・これは自分に向いているなって、受付をやりだした時に感じました。

そんな経緯で、ちゃんと看護師の免許をとろうと決めました。病気になった父にこの先頼ることはできないし、とにかく定職についていたいと思いました。3年看護学校に通いました。

看護学校はかなり厳しいのですが、フルートは自分の母校のオケのコーチとして毎土曜日に必ず行って吹いていましたし、夏休みの合宿にも付き合いました。あとは、そのころから家に生徒が何人かいたので、教えていました。

音楽の先生としての仕事

Q お父様の願いが届いた上に、自分に合っていると感じられる仕事と音楽が続けられるようになったわけですね。


実は、ここに行き着くにはちょっと寄り道がありました。オーケストラ・アカデミーのあとの1年間だけ、公立中学の非常勤講師を、週2回(週7時間)やっていたのです。

これはともかく、すごく大変な仕事でした。音楽の授業は、ピアノ弾きながら歌うことが多くて、自分には困難でした。でもこの経験があったからこそ、もっと自分が活かせることをしよう、と感じるようになったのだと思います。いい経験でしたね。

Q 教師の仕事にも、もともとは興味があって採用試験に合格していたのですね。

はい、2007年12月(まだ富山のオーケストラ・アカデミーにいるころ)に市の教育委員会で登録をしておいたら、3月に「来月からお願いします」という電話が来て、すぐに働き始めました。



音楽と看護の両方があってこそ、両方楽しくできる

Q そして教師を辞めたその年から3年の看護学校での勉強を経て、現在の生活があるのですね。看護師として2年あまり働いて、どう感じていらっしゃいますか?

うまく言えないですけど、普通の人の観点と、音楽家の観点のふたつを持てたことが私の宝です。一緒に病院で働いている人から見ると、音楽という大好きなことがあっていいね、ということになります。自分でも今、両方できて本当にいいバランスがとれていると思います。

昔は、「将来どうしよう、フルートだけで食べて行けるのか」、といつも不安を抱えていました。富山にいる間は、結婚できるのかとか、結婚して子供が出来たときに自分に収入がない専業主婦でいられるのだろうか、とまでいろいろと考えていました。 今は、フルートをやっているときは、看護があるから大丈夫と思えます。逆に看護をやっている時は、自分にはフルートがあるから頑張れる自分がいて、とってもバランスがいいのです。

昨年結婚したのですが、例えばこの先こどもが出来ても、看護の現場は人手が足りないのでいろいろと働き方を選べます。クリニックなり、病院なり、人手不足だから皆すぐに就職が決まります。自分の生活を選べるというのが嬉しいですね。自分はフルートにこのくらい時間が欲しいから、という選び方ができます。

今は夜勤も含めフルタイムで看護をしていて、それ(収入の安定)が心の安定にもつながっています。体力は必要です。人にびっくりされますが、夜勤の前や後に生徒を何人か教えたりすることもあります。

私はむしろ、病院だけやっているとストレスが溜まると思うんです。病院にいる間は忙しいし、人手がないので本当に大変です。病院だけだったら、きっと「ああ仕事に行かなくっちゃ」と気が重くなってしまう。でも、生徒を教えた後だと、「ああ頑張ろう」って思える。

なんか不思議なんですよ。フルートはみんな好きでレッスン通ってきてくれるから、ウキウキした気持ちになれて、エネルギーをもらえる。そして今までの音楽の経験を生かせているのでやりがいを感じます。それでバランスがとれているのだと思います。

病院でコンサートをさせてもらった際、演奏後に患者さんから「おかげさまで最高の入院生活になりました!」なんて言ってもらえると本当に嬉しいですね。同僚からも、「なんだかフルート吹いているといつもと違う雰囲気だね、違う意味で生き生きしているね」って言われます。自分でも、きっと「本当にそうなんだな」と思います。




看護という専門性の高い職業においても、川崎さんが音楽をやっていることが活かされていることを聞いて、
改めて音楽を勉強して、それに携わり続けることの意義を感じました。

長い時間、貴重なお話しをありがとうございました。

2015年5月1日



インタビュアー・文責 大島路子